土佐錦魚(とさきんぎょ)
◆土佐錦魚の歴史◆
土佐錦魚江戸時代今から約200年前、山内家家老、乾市正の与力、須賀氏が、江戸から金魚を持ち帰り、
飼育をはじめたのが、土佐錦魚の歴史の始まりで、持ち帰えった品種は、和金かマルコか不明です。
その後1845年に大阪らんちゅうと琉金を交配して、土佐錦魚として、固定したのは、同家の子孫の須賀亀太郎氏です。
最初に固定された時は、現在のような形ではなく、海老前(えびまえ)といって、左右の親骨が単に前の方に出ているだけだったようです。
土佐錦魚は、幾度となく絶滅しそうになり、とくに、昭和21年の南海大地震で絶滅の危機に瀕したことがありますが、この危機を救ったの田村広衛氏(田村翁)です。
田村翁は、大地震で水浸しになった高知市で、たまたま、鉢の中に生き残った土佐錦魚を見つけ酒好きの主人と交渉、山奥まで自転車で走り焼酎を手に入れ土佐錦魚と取り換え、その土佐錦魚を元に仔種を増やしていったというエピソードがあります。
田村翁の時代に、大きく反転する尾に改良され基本の型、理想の型が完成し今も変わりません。
昭和44年8月8日高知県天然記念物に指定されました。昭和46年に矢野忠保氏が東京を中心に土佐錦魚を分譲し全国に門戸が開かれました。その後皇太子殿下時代の天皇陛下に献上された輝かしい歴史もあります。
→写真:土佐錦魚
◆特徴◆
土佐錦魚最大の特徴といえば、人の目を奪って離さない大きくて華やかな反転尾でしょう。
左右の尾の両端はふわっと翻り、尾の後方は広く大きくどっしりと構え、他の品種には見ない独特の形質を持っています。
柔らかい反転尾を右ひだりに器用に遊ばせながら水中を舞う姿は、そのあまりの美しさから『牡丹の花』に例えられるそうです。
体形は流金に近く、ふっくらした卵型の腹が理想的です。
目から口先にかけて細くなりシャープな顔立ちをしているため、その面持ちには上品な雰囲気が漂います。
歴史的に血が濃いため、体質的に弱く飼育は難しい。退色は遅い傾向にあります。
より美しい反転尾を作るために当歳魚の時は丸鉢で飼育します。円形の容器に魚を入れ、縁を泳がせ続けることで大きい尾を支える骨格を作り上げていきます。
2歳魚以降は四角い容器で飼育することが可能となりますが、水深は浅めのものが適しています。
1匹飼育では魚が落ち着かなくなる傾向にあるため、同じくらいの大きさの魚を複数飼いしている方が多いようです。